読書⑮「高瀬舟」森鴎外著

弟殺しの罪で島流し(追放より重く死罪より軽い刑)にされる喜助。

昨今ニュースにもなっている安楽死について改めて考えさせられた。

自殺幇助には刑罰がある。喜助は「島流し」という罰を受けることで、自分の犯した罪に報おうとしている。罰を受けることによって自分自身を許せるのではないかと思った。

安楽死は条件付きだけど賛成の立場だ。自殺幇助の罪はつらすぎる。

森鴎外は小説家であり教育者であり軍医でもある。高瀬舟は1916年に発行されており100年以上経っている今も安楽死については結論が出ていない。それくらい難しい問いなのだ。

=あらすじ=

喜助の両親は喜助が幼いころに病で亡くなり、それ以降喜助は弟と2人で暮らしていた。

しかし、弟は病気で働けなくなり、兄の負担になりたくない思いから自らの喉笛に刃を当て死のうとした。うまくいかずさらに刃を深く突き刺す。

その時仕事から帰宅した喜助は医者を呼ぼうとするが、「刃を抜いてくれれ死ねるだろう」「抜いてくれ」と弟に頼まれた。弟は「医者がなんになる、早く抜いてくれ、頼む」と恐ろしい顔で催促する。ついに観念した喜助は弟の言う通りに剃刀を抜いた。

 

読書⑭「夜は短し歩けよ乙女」森見登美彦著

京都が舞台。男子大学生が意中の黒髪の乙女に対し外堀を埋めながら奇天烈な世界に巻き込まれる物語。

文体が独特で飲めり込める時もあったがそうでない時は少し苦しかった。ただ文を目で追って雰囲気で読んだ方が楽しめる気がする。

男子大学生の「人事を尽くして天命をまつ」の人事の尽くし方が面白い。春の百鬼夜行での巡り合わせ、夏の古本市での火鍋&こたつでの死闘、秋の学園祭でのゲリラ演劇、そして冬の李白風邪。恋愛ファンタジーなのかギャグなのか。

人事を尽くされた「黒髪の乙女」は好奇心旺盛、純粋、無邪気、巨大な緋鯉のぬいぐるみを背負っている姿は想像するととても可愛らしい。「なむなむ」「オモチロイ」「おともだちパンチ」などの語感もよい。

終始登場する「だるま」は起き上がりだるまのことかな。男子大学生の不屈の精神?と黒髪の乙女の面白さを表していると思いたい。

読書⑬「カエルの楽園」 百田尚樹著

主人公はアマガエル。棲み処に敵が現れ、敵のいない場所(楽園)を求める。

ツチガエルの棲み処に辿り着くが、はたしてそこは楽園なのか。楽園であれば何が故に楽園であるのか。

 

【登場人物】

アマガエル・・・放浪者

ツチガエル・・・平和主義者

ウシガエル・・・侵略者

 

ツチガエルは日本人を客観的に映した生き物。長老と若者そして演説者。

2017年に発行されている著書だが、日本人の気質は変わらないものなのだ。

侵略者に対して「話し合いで解決したい長老」と「自分は戦いたくないが、戦うべきだという若者」。そして「戦うことは愚かだと扇動し、いつの間にか戦うべきだと誘導する演説者」。

アマガエルとウシガエルの存在がツチガエルのチョロさを引き立たせている。

 

争わない姿勢は必要だが皆が平和主義であるわけではないし「何が平和」なのかも違う。

「敵が少ない」を平和とする者もいるし「食べ物が豊富」を平和とする者もいるだろう。

 

その他の面白い点

①主人公アマガエルの名前はソクラテス。ずいぶん立派な名前。

哲学者ソクラテスのように「ここは楽園なのか。そしてそれは何故なのか」を問答する。

②ツチガエルの棲み処の名前は「ナパージュ」。JAPAN→NAPAJ。

③その他の登場人物プロメテウスは戦うツチガエル。こちらも立派な名前。

読書⑫「変身」 フランツ・カフカ著

難しくて読みずらい。どこに着目すればいいのか、なぜグレーゴル・ザムザは蟲になってしまったのか。この本の本質は自分で見つけるしかないような物語。だからこそ、この本の感想は千差万別であり、どのように受け取ってもいいような気楽さはあるのかもしれない。

 

今回はグレーゴルの身体的変化と心理的変化を主として読んでみた。

 

グレーゴルは外交販売員として働き、父母妹の一家の大黒柱であった。

ある日起きたら蟲になっていたグレーゴル。大き目のダンゴムシかムカデを想像する。蟲になっていると気づいたにも関わらず、起きて服を着て朝食をとり仕事に行こうとする。日が経つに連れて、だんだんと蟲の習性のように暗い部屋の隅に隠れたり、壁や天井を這いまわることを好んだりするようになる。

また、家族の変化も感じられる。はじめはグレーゴルを気遣い食事を用意したり、悩みながらも父母は働き、妹も家計を助けるようになるが、だんだんとグレーゴルを邪魔な存在(蟲)として扱うようになる。

 

そして、お互いの心が離れていく・・・。

身体的なものから「蟲」になっていったのか、環境によってなのか・・・。

 

自分自身の思い込みや周りの環境というのは、自身を形作るうえですごく影響を与えてくれている。

周りの変化によって自身が変わっていくこともあるし、自身の変化によって誰かにも影響を与えているのかもしれないと改めて思った。

読書⑨⑩「陽気なギャングが地球を回す」 伊坂幸太郎著

題名通り、陽気なギャングたちによる銀行強盗及びハートフルな物語。

【ギャングの構成員】

成瀬:リーダー。役所勤務の管理職。嘘がわかる個性の持ち主。お堅い職業の割に仲間内では陽気

響野:喫茶店のオーナー。超絶おしゃべりな陽気

久遠:スリの天才。怖いもの知らずな若い陽気

雪子:意外と大胆な陽気、、、優しい。絶対音感ならぬ絶対時間の持ち主

 

陽気なギャングが地球を回す」と「陽気なギャングの日常と襲撃」の2作品、文庫本にしてはボリュームがあるのに全く飽きない構成。

エンタメの本が読みたいと思ったら、この本はおすすめ。頭を使わずに楽しめる。

 

陽気なギャングが地球を回す

成瀬の計画のもと4,000万円の銀行強盗を成功させるも、全く関係のない現金輸送車ジャック犯に横取りされる。

4人は4,000万円を取り返すのか、諦めるのか、、、取り返すに決まってる。

 

【陽気なギャングの日常と襲撃】

4,000万円の決着がついた後の4人それぞれの日常。

普段銀行強盗をしているので、たまに人助けをして「±0」にする。

こちらの作品では「成瀬に踊らされる響野と久遠、踊らされる2人を見て楽しむ成瀬」という構図が最高にハートフル。

 

 

読書⑧ 「コンビニ人間」 村田紗耶香著

2016年芥川賞受賞作。

社会不適合者(あちら側の人間)古倉恵子。18歳から18年間コンビニ店員のアルバイトをしている。子供の頃、死んでいる鳥を見て「焼き鳥にしよう」と母親に言う思考回路の持ち主。

コンビニのマニュアルに従う事とアルバイト仲間の真似をして「普通」を演じている。

 

私はこの主人公を精神的な障害者とは思わない。ちょっとグレーっぽいかな…という程度。働いていればそういった人とは山ほど出会う。(物語後半に出てくる白羽の方がよっぽど近づきたくない。)

古倉は自分が人と違うことを自覚している。それを直す為に普通の人を観察し、真似をして「普通」に見えるように努力をしている。この点は共感できる。

 

この物語は昨今流行っている「多様性」と昔からある「ムラ社会」は相いれるのかを考えさせられる。

あちら側(少数派)の人間とこちら側(多数派)の人間。胸糞悪い白羽の「ムラに所属しようとしない人間は、干渉され、無理強いされ、最終的にはムラから追放されるんだ」という一言は「確かに」と思ってしまった。

「多様性」と言いながらも、多数派が「正社員・結婚・出産」という流れを「普通」とした場合、その流れに乗らないものは「異物」と嫌厭される。少数派は根掘り葉掘り不躾なことを聞かれ、結局多数派には納得?理解?できない理由のため異物のままとなる。(※物語上での例えです。)

 

今は少数派に属する自覚があるなら、それなりの覚悟と無関心を心がけるしかないかな。相互理解や納得よりも、考え方を受け入れた上での互いの距離感が大切だと思う。

この物語の救いは「自分の生きやすい場所を見つけて、そこで生きればいい」と言ってくれている所。

読書⑦ 「人間失格」 太宰治著

学生の頃に手を出したが、共感する点が全くなく最初の方で挫折した記憶がある。

有名どころの純文学は読み手を選んでくるなとこの歳になって感じる。

ただ、昔に手を出したからこそ自分自身の経験値が高くなったのだと自覚できるし「あ~あの頃の自分の知見では早すぎたな」と客観的に見れるところも面白い。

 

今回は「斜陽」からの「人間失格」を読んで、「斜陽」の感想もちょっと変わった。直治は太宰治自身で、姉は「こういう風に人生を変えたかった」という人物像なのかもと。

 

人間失格」は太宰治の最後の作品。入水自殺を謀る前。

伝記みたいなものかと読み始め、最初は「重度のHSP」かと感じていたが「酒と女に溺れる男」に変わっていった笑。酒と女に甘え、クスリにも依存し精神病棟に収監される。

 

他人のことがわからない、人にどう見られているか、というのは誰しもが差はあれど気にして生活していると思うが、ある程度割り切ることが必要。自分の意思との折り合いが上手くできず、かつ、そういう男を好きになる女のヒモになるという状況。

 

なかなかに生きづらい感覚の持ち主だが、頼る人物を間違えずもう少し他人を信用し、自分の弱い部分を見せることができたら人生を変えることはできたと思う。付き合う人間は選ばないと。